原子間距離が適切であって初めて共有結合が成立する
2007-03-24


マイミク読み逃げ釣り事件が思わぬ方向に派生。

コミュニケーション疲労と心の距離[LINK]国民宿舎はらぺこ 大浴場[LINK]さま)へtb。

大雑把に主旨を示せば、

いわゆる「読み逃げ」を許さない風潮、仲間に対して異質さを寛容できない事というのは、即ち「心の距離が近い」状態と言える。
距離が近いがゆえに相手に同質であることを強要してしまう、即ち「個」はつぶされコミュニティ全体主義が第一に考えられる。
こんな状態でのコミュニケーションは疲れてしまうし、本当の意味での信頼関係などは全く築けていない。

相手との「心の距離」を適切に取る事によって、相手の異質さ、「個」を尊重する事が出来、結果としてコミュニケーションが円滑になる。
即ち重要なのは相手の「個」を受け入れ、信頼する事だ。
相手の事を受容し信頼する事が出来てこそ、自分の意見を堂々と言えるし、相手の意見も聞くことが出来る。
ってところ。多分。

まあ、特に反論もないし概ね受容できる意見です。
ただtb先記事を読んで勘違いする人がいて欲しくは無いのだがいないとも限らないので、補足しとこ。



キーワードは「心の距離」だが、元記事での記述がちょっと引っかかる。

心の距離をとる = 相手の行動を許す わざと曲解すれば、
「心の距離が近い」→「相手に自分と同じ事を求めてしまう」
「心の距離が遠い」→「相手の事がどーでもよくなる
となる。

相手を受け入れる事が重要なのはもちろん変わりない、が、何でもかんでも相手の行動を受容、いや、スルーしてしまうのが正しい事だと勘違いしてしまいかねない。
いないとは思うけどさ。

この「受容」(≒スルー?)は、していいこととしちゃいけないことがある

元記事の例で言うと、

・待ち合わせの時間に一人が遅刻
・一人だけ音楽の趣味が違った
がある。

前者に関しては、文句を言いながらも「まあしょうがないか」で済む。或いは対案を即座に考えて次の行動に備えるのがたぶん正解。ぶつぶつ文句を言いながら何も考えずにいるのは一番間違い、というかうざい。
後者に関しては、相手の尊重しつつも自分の意見を持っていれば、特に問題は起こらないはず。盲目的に好きなアーティストについてはつい感情的になってしまうこともあろうが・・・

この2つのケースについては、特に問題にはならない。事後の問題として十分受容しうるから。

問題は、受容できない、しちゃいけないケースまでスルーしてしまうことだ。
それは社会通念の事である。もっと言えば、 常識の問題。

以下の2例。

・友達に貸した金がなかなか返ってこない
・酒を飲んでいるのに車を運転しようとしている

金銭貸借は重要な問題、それを「友達だからなあなあでいいよな」といい加減に扱うのはもっての外。
こういうケースで悩んでいる人も結構いるのでは?
当然ながら、借りた金は返すのが当然だし、返済に関しては最優先するのが当然のマナー。
それを難癖付けて返済を引き延ばしたり返さなかったり逆切れしたり横井英樹みたいな真似をされては、その人の良識を疑うし信頼関係の成立も難しい。
金の問題に関しては、友達だからと言ってあいまいにせず、きちんと文書にし、返済計画を確立させた方がよいでしょう。後でもめる事ほどくだらない事は無い。

また飲酒運転について。
これはもう、ぶん殴ってでも止めろと思います。
その人と友人関係を続ける気があるならば、それは絶対にスルーしてはいけない。
特に交友を続ける気が無いならば、一刻も早く絶縁する事をお勧めします。飲酒運転に罪悪感が無いような輩と付き合っててもロクな事は無いでしょう。


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