木と森と
2006-09-27


では何のために行うかと言えば、犯罪被害者の為のみならず、社会のためです。
それは一般予防論的(類似犯罪抑止)な効果もさることながら、社会的な不安の予防でもあると思います。
死刑を求刑される様な重犯罪者を社会復帰させれば、世間は必ず再犯に脅える事になります。
「あんなとんでもない犯罪者はまた犯罪を犯すだろう」という見方を必ずしますし、実際にそうなる可能性も高いでしょう。だからこそ死刑を求刑されているとも思いますが。

死刑相当の重犯罪者は、もはや社会に存在することを許されない、という社会の総意があるように思います。
口には出さずとも、ほとんどの人がそう思うのではないかと。
それを防ぐための、完全なる社会との隔絶、その為の死刑或いは終身刑だと思います。
そして、非常に悲しむべきことではありますが、それを否定する程の要件は浮かびません。

こういうテーマに「アポトーシス」なんて言葉を使うのは限りなくナンセンスではありますが、該当者の行く末だけは近いかもしれません。

ここまで言う事の前提として、警察の捜査が限りなく完璧に近く、限りなく高確率、100%に限りなく近く、その被疑者が犯人であることが求められます。警察に頑張ってもらうしかありません。
その要件を満たし、死刑が求刑され、法務大臣が赤鉛筆でサインをし、死刑が確定したら、

私は思います。


本来ならば斯様な形で人命が失われるのは悲しいことだ

だが、その罪は―――もはや絶対に許されない

だから

社会のために死んでくれ


―――と。



今回はかなり重たいテーマで、書くとだんだんブルーになってきます。
しかし、tb先のような刑罰の軽重の問題もあり、避けては通れません。といいつつ法の問題には触れてないけど・・・

死刑廃止は世界的にも論調が大きいものです。
日本の弁護士の意見も確かに分かります。
でもね。

死刑廃止を訴えるよりも死刑になるような重大犯罪をどうやって抑止するかと言うことの方が何万倍も重要 だと思うし、それを弁護士の口から言って欲しかったな。

がっかりだよ。


戻る
[思想]
[社会問題]

コメント(全3件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット